2019年08月20日

第217話 ワンルームで暮らす

 今にも雨が降りそうなそんな空の色。6月5日に仕込んだ黒糖と青梅のジュースがもうじきなくなりそうです。最初は黒糖より氷砂糖がいいと思ったけれど、こちらも時間が経つにつれていい味になっていきました。暑くてだるい日々、わたしを元気にしてくれました。7月8月は外に出ることが多く、家でゆっくりできたのは1週間ぐらい。外食も多く体重も増えました。わたしの場合、家にいないということは書く仕事ができない、ということです。これは由々しき問題。9月以降、なんとか状況を変えないといけない。
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紅白の甘酒をいただきました。31日の家族の夏の誕生会で飲もうと思います。元気になりそう。

 そんな中、根性で映画を2本見ました。ずっと前から見たかったのですがミニシアターにかかるようになってやっと夢が叶いました。「hearts beat loud」
は曲が素晴らしかったですし、「人生フルーツ」では90才と87才の津端さんご夫妻の生き方に惹かれました。特にご自宅に興味を持ちました。津端修一さんは建築家で尊敬するアントニン・レーモンドの自宅に似せて、平屋30坪・ワンルームの家に住んでいます。

 わたしはずっと2DKとか1LDKという捉え方に違和感を感じていました。ですから結婚して公団住宅に住んだ時、2DKの部屋を畳の部屋だけ残してあとは襖をとって廊下も台所もあと1部屋もライトグレーのカーペットを敷きつめて広く使いました。実家の2階に住むことになりリフォームする時も、父は息子たちが大きくなった時に部屋がいるだろうから、初めから部屋を分けておいたほうがいいと言いました。でも細かく分けるのはなあ、と思い、全部ワンルームにして使いました。そんなに広いスペースではないけれど、それでも気持ちのいい空間になりました。結局息子たちが結婚するまでワンルーム。息子たちは個室が欲しい年頃の時もあったと思いますが、特に不平を言うこともありませんでした。(心の中はわかりませんけど)こういう考え方をする親の元に生まれてしまったのだから仕方ないですね。ワンルームだからかはわかりませんが、我が家はよく会話をする家族で、友だちもしょっちゅう家に来ていました。

 考えてみれば、昔の家は広い和室を用途に応じて襖で区切って使っていたし、一つの部屋をいろんな用途で使いました。洋式の暮らし方になるにつれ、家具も変わってきますし、区切って暮らす、個室を作る、ドアには鍵をかけてという流れに変わってきたのかもしれません。そういう暮らし方が普通で快適と思う人がほとんどかも。混ぜこぜで、ごちゃごちゃ暮らすのは今風ではないのかもしれませんが、津端ご夫妻の気持ちのいい家を見て、「ああ、同じ。良かった」と思いました。

 9月に入ったら、もう1本、前から見たかった映画がミニシアターにかかります。それを楽しみに、8月の残りを頑張って過ごしたいと思います。柴犬まるちゃんも、頑張ってます。
posted by あさえ at 20:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月15日

第216話 お盆です

 しかし、あっつい。蒸し蒸し。先週、京都に行った時には本当に参ってしまいました。チリチリと顔面が焼かれているような感じがして痛みさえ感じました。38度もあったそうです。私の体温は大体35度ですから3度も気温の方が高かったということになります。日本の夏は暑すぎます。来年のオリンピックはどうなるのでしょう。観客が倒れてしまいそう。

 夏休みになってもうちゃん(9歳)からスイカ割りの招待状が届きました。日時を決めようということになったのですが、二人の都合がなかなか合わず、朝9時に決行。スイカを持ってもうちゃん登場。庭にシートを敷いて、じゃんけんで順番を決めてスタート。大人3人は少しかすったぐらいでしたが、もうちゃんはパシッと割りました。棒が細かったので割れ目がついたくらいですけれど。そしてスイカをみんなで食べました。朝からスイカ割り。健康的。もうちゃんがいなければ絶対やらないことです。こどもの発想と実行力は素晴らしい!もうちゃんとお友達と私と3人でスライム遊びをした時、もうちゃんが友達に「ばばちゃんは、心の中は8歳なんだよ」って話していました。頭の中が8歳にならないように気をつけなくちゃ。
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お見事!

 今日はお盆。旧暦7月15日と新暦8月15日が珍しく一致します。15日といえば満月です。夜道をご先祖様が迷わず家に帰ってこられるように明るく道を月明かりが照らしてます。残念なことに台風の影響で曇り空。お月様は見えません。夫のお母さん、りんさんが3年前に100歳で亡くなりました。先日6歳のあっくんに「りんおばあちゃん、おぼえてる?」って聞いたら、「うん、おぼえているよ。箱に住んでた人でしょ」って答えました。当時3歳だったあっくん。夫のお兄さんの家からりんさんを送ったのですが、その時に棺の中に横になっていたおばあちゃんを見て、「なんで箱にいるの?」と不思議そうでした。その印象が強く残っているのでしょう。「住んでいた」という捉え方は「生きている」という認識のもとに出た言葉だと思います。あっくんにはいつもしみじみ癒されます。

 思い出しました。2000年に父が亡くなって1ヶ月ぐらいたったある日、短大の授業から戻り門を入りました。その時間にはいつも窓越しに椅子に座ってテレビを見ている父の姿が見えたものでした。でももう「椅子」しか見えませんでした。その瞬間、身体中の水分がどーんと下に落ちた感覚がして涙がポロポロ流れて止まらなくなりました。私はその時初めて、父が亡くなりもういないんだ、という現実を心底実感したんだと思います。あれから19年。お盆の頃になると、天国に行った家族や友人のことを想います。
posted by あさえ at 21:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする