2020年03月23日

第222話  花が買えない

 2月、花屋さんの店先には色とりどりの花が並んでいました。いつもなら買うのですが、買おうと思って店の中に入っても買う気持ちになりませんでした。なぜだろう。きっと母が入院していたから。11月下旬から入院し、2月の下旬から状態が悪くなりました。私はほぼ毎日病院に通っていました。電車とバスで1時間ちょっと。そのうちコロナウィルスで面会制限されたけれど、母の場合は特別許可が出て通うことができました。私の気持ちは思いっきり沈んでいました。だから、花どころではなかった。

 母は退院を信じて、「看護士さんの名前を覚えて、名前を言うとすごく喜んでくれるのよ」と長い入院生活をなんとか気持ちを切り替えようとしていました。「朝、起きるとここはどこかなって思うの。その時アカオニくんを探すの。アカオニくんがいたら、ああ、病院だわってわかるのよ。」って。アカオニくんとは、私の絵本「まめまきできるかな」の表紙。母のために私がカバーを病室に貼っておいたのです。2月中旬になると、「おかしいのよ。11日からの記憶がはっきりしないの。」と不安そうに話しました。そして私の目をうるんだ目でじーっとみつめることが多くなりました。母は『今、私の具合は本当のところどうなの?』って私に聞きたいけれど、聞けないのだと感じました。私がこらきれずに泣き始めると、母も声をあげて泣きました。もう自分の命がそんなに長くないことを悟ったように。こらえきれずに母に抱きついて泣いてしまったら、母が私の頭をなぜてくれた。私が慰められてどうするのだ、情けない。

 頭をなぜてくれる優しい手がもうない、という事実を私はどう受け止めたら良いのだろう。

 今年でた「ひな祭りのお料理絵本」で、お寿司で作る雛ずしを紹介しました。母が私が子どものころに作ってくれたもので絵本の帯にそのことが書かれているのを見て母は私が驚くくらい喜んでくれました。そして3月3日に母は亡くなりました。

 携帯に残っている母からきたメールは、辛くて見ることができません。「気をつけて行ってらっしゃい」「体に気をつけて。」いつもいつも私のことを心配するようなことばかり送ってきました。私は自立していると思っていたけれど、すごく母に依存していたんだなと感じる毎日です。母がいないという現実がこれからいろんな場面で突きつけられるのだと思うと辛い。けれども私には家族がいます。夫や息子たちや孫たち。そして友だちがいます。今回も随分助けてもらいました。頑張って生きていかなくちゃ。

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 気がつかないうちに昨年の秋に植えたチューリップがすくすく育ってつぼみをつけていました。なんて可愛いんでしょう。つぼみの先から赤色が透けて見えます。温かな赤色。大丈夫だよって励ましてくれている、そんな風に感じました。
posted by あさえ at 11:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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