2019年10月27日

218話 小さな人たちと

 あっという間に金木犀が散ってしまいました。4歳のこうちゃんが、土の上に落ちた金木犀の花を一つひろい、大事に家まで持って帰りました。小さなお皿に乗せてじっとみて、「小さいねえ」となんども言いました。拾われた金木犀のお花は日毎に小さく、黒くなり、消しゴムのカスのようになりました。でもこうちゃんの希望で、しばらくそのままにしておきました。幸せな金木犀。
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今も金木犀の花にはちがいありませんよー。

 また違う日、夕方こうちゃんとお兄ちゃんのあっくん(6歳)と私とで、焼き鳥を買いに行きました。その帰りに公園で遊んでいこう、ということになり、ちょっと寄り道をしました。夜の公園で高校生のお姉さんたちがブランコを楽しそうにこいでいました。あっくんたちは滑り台の階段を登り始めました。そしててっぺんについたとたん、あっくんが大きな声で言いました。「ばばちゃん(私)、お月様だよ。ほら、ほら。」。指差した方を見たら、雲の間からちょうど十日月ぐらいのお月様が顔を出していました。「ほんとだ。お月様、きれいだねー」と返事をしました。あっくんは、しばしお月様を眺めてから、スーッと滑り台を滑りおりました。お月様に気づいて喜ぶあっくんの感性って、いいなあとしみじみ思いました。

 また違う日、あっくんが、「ばばちゃんに見せたいものがあるの」と嬉しそうに言います。「じゃあ、連れてって」と一緒に行ってみたら、駅のそばの文房具屋さん。「ほら。まるちゃん」。指差したものは、しば犬のウェルカムボード。「ほら、ここにも、マルちゃん」。しば犬のカレンダー。「わあ、まるちゃんだ。嬉しいなあ」って言ったら、あっくん、ニッコニコ。前に来た時に見つけて、私に見せてあげたいとずっと思っていてくれたことが、すごく嬉しくて、可愛くて、幸せな気持ちになりました。

 小さな人たちは、純粋で優しい。息子がこうちゃんぐらいの時に書いてくれた「お守り」が出てきました。そこには「ままきれいすきままがんばてね」と書かれていました。そんな可愛いことを書いてくれた息子も、今ではこうちゃんとあっくんと10月に生まれたばかりの壮祐ちゃんのお父さん。時の経つのはなんて早いのでしょう。私も随分長く生きてきたけれど、小さな人たちと過ごしていると、かつて自分の中にもあった純粋さや優しさ(少しは残っていると思うけど)が呼び起こされるようなそんな感じがします。
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鏡文字まじり文。かわいい!    

posted by あさえ at 21:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月04日

第217話 葉っぱがひらり 

 8月に、二つある倉庫を整理して一つにまとめる作業をしました。物を整理するというのは大仕事。息子たちが協力をしてくれたおかげで重いものもスムーズに運ぶことができました。そして今、家には大きな茶箱と同じくらいの大きさの収納箱がきています。茶箱には息子たちが3歳から通っていたアトリエ「小さな画家たちの家」で描いた絵がどっさり入っています。どれも素晴らしく、処分することができません。困ったなあ。とりあえず、今、倉庫から持ってきた額縁を7枚、世界堂でガラスからアクリル板に変えてもらっているのでそれが戻ってきたら絵を入れて壁いっぱいに飾ろう。うん、そうしよう。

 それからもう一つの収納箱にはアルバムと、息子たちが幼稚園の時に園で作った製作物が入っています。母の日、父の日に私たちの顔を描いた絵、一番多いのは当時家にいたしば犬ナックの絵。それから小学校の低学年の時に書いた作文や夫が海外に行くたびに息子たちが作って渡したお守りなどなど。息子の一人が6歳の時に1ヶ月入院したことがあったのですが、その時に幼稚園のクラスの子たちが書いてくれたお手紙や絵もどっさり。どうしよう。捨てられないなあ。困った。でもこれは息子たちのものだから、一応どうするか聞いてみないといけません。

 アルバムは見始めると時間がいくらあっても足りません。今はデジカメでじゃんじゃん撮るけれど、私にはやっぱり一枚一枚アルバムに貼り付ける昔?流の方がしっくりします。母や私の手書きのキャプションが書いてあって温もりを感じます。でも、どうしよう。この写真たち。私が死んだらどうなるのかしら。息子たちはいらないだろうな。娘がいたら大事にしてくれるかも知れないけれど、残念ながら娘はいないし。一応、息子たちに聞いてみよう。
 
 息子たちの製作物はまとめてファイルされているのですが、それを持ち上げた時、ひらりと葉っぱが一枚落ちました。おし葉状態でカラカラ。「えっ?」と思ったら、それは息子が幼稚園の時にドングリや葉っぱを紙にセロテープで貼り付けた作品から落ちたものでした。34年前の葉っぱ……。幼児だった息子たちの顔がパッと目の前に浮かびました。可愛かった。子育てしているときはこの忙しさがずっと続くと思って気が遠くなっていたけれど、今思えば、もっと丁寧な子育てをすれば良かったとしみじみ思います。34年前の葉っぱは大事に手帳に挟みました。だんだん粉々になっていってしまいそうだけど。
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葉っぱ。息子が小学校、中学校、高校、大学、就職、結婚してお父さんになるまでずっと静かに紙に張り付いていたんだ。

posted by あさえ at 09:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月20日

第217話 ワンルームで暮らす

 今にも雨が降りそうなそんな空の色。6月5日に仕込んだ黒糖と青梅のジュースがもうじきなくなりそうです。最初は黒糖より氷砂糖がいいと思ったけれど、こちらも時間が経つにつれていい味になっていきました。暑くてだるい日々、わたしを元気にしてくれました。7月8月は外に出ることが多く、家でゆっくりできたのは1週間ぐらい。外食も多く体重も増えました。わたしの場合、家にいないということは書く仕事ができない、ということです。これは由々しき問題。9月以降、なんとか状況を変えないといけない。
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紅白の甘酒をいただきました。31日の家族の夏の誕生会で飲もうと思います。元気になりそう。

 そんな中、根性で映画を2本見ました。ずっと前から見たかったのですがミニシアターにかかるようになってやっと夢が叶いました。「hearts beat loud」
は曲が素晴らしかったですし、「人生フルーツ」では90才と87才の津端さんご夫妻の生き方に惹かれました。特にご自宅に興味を持ちました。津端修一さんは建築家で尊敬するアントニン・レーモンドの自宅に似せて、平屋30坪・ワンルームの家に住んでいます。

 わたしはずっと2DKとか1LDKという捉え方に違和感を感じていました。ですから結婚して公団住宅に住んだ時、2DKの部屋を畳の部屋だけ残してあとは襖をとって廊下も台所もあと1部屋もライトグレーのカーペットを敷きつめて広く使いました。実家の2階に住むことになりリフォームする時も、父は息子たちが大きくなった時に部屋がいるだろうから、初めから部屋を分けておいたほうがいいと言いました。でも細かく分けるのはなあ、と思い、全部ワンルームにして使いました。そんなに広いスペースではないけれど、それでも気持ちのいい空間になりました。結局息子たちが結婚するまでワンルーム。息子たちは個室が欲しい年頃の時もあったと思いますが、特に不平を言うこともありませんでした。(心の中はわかりませんけど)こういう考え方をする親の元に生まれてしまったのだから仕方ないですね。ワンルームだからかはわかりませんが、我が家はよく会話をする家族で、友だちもしょっちゅう家に来ていました。

 考えてみれば、昔の家は広い和室を用途に応じて襖で区切って使っていたし、一つの部屋をいろんな用途で使いました。洋式の暮らし方になるにつれ、家具も変わってきますし、区切って暮らす、個室を作る、ドアには鍵をかけてという流れに変わってきたのかもしれません。そういう暮らし方が普通で快適と思う人がほとんどかも。混ぜこぜで、ごちゃごちゃ暮らすのは今風ではないのかもしれませんが、津端ご夫妻の気持ちのいい家を見て、「ああ、同じ。良かった」と思いました。

 9月に入ったら、もう1本、前から見たかった映画がミニシアターにかかります。それを楽しみに、8月の残りを頑張って過ごしたいと思います。柴犬まるちゃんも、頑張ってます。
posted by あさえ at 20:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする